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中学校の道徳の授業ってどのように進めたらいいの?

「嫌いな教科はなんですか。」という質問に、「道徳」と答える生徒が意外と多いんです。

 

一生懸命、道徳の授業を考えている身としては、とても悲しいことです(笑)

 

ある中学生有名ブロガー、キメラゴンくんが、ツイッターで呟いていました。

 

学校の道徳あるある

  • 人のために自分を犠牲にする生き方=美徳。
  • お金がなくても友達がいれば幸せ。
  • 先生は正しい。

 

とある中学生の1人の考えですが、「間違ったやり方をすれば、こんな風に思う生徒がいてもおかしくないな。」と思いました。

 

私は、「道徳は考えれば、考えるほど、わからなくなる教科。」だと思っています。

 

正解はないのです。

 

「いろいろな立場に思いを馳せた上で、自分はどう生きていくか。」を考えるのが道徳。

 

 

「本時のねらい」を考えよう。

 

道徳以外の教科でも、本時のねらいやめあてを提示することをほとんどの先生がやっていらっしゃることと思います。

 

本時のねらいやめあてが提示されていることによって、生徒は「授業のゴール」、「目指すべきところ」が明確になります。

 

しかし、教科の授業に比べて、道徳の授業のねらいやめあては、あいまいでわかりにくいことが多いです。

 

授業のねらいや目当ての例

英語 道徳
・一般動詞の肯定文を理解し、自分について、一般動詞を使って、文章を書くことができる。 ・内なる良心の声を聞いて、弱さや醜さを克服しようとする2人の弟子の姿を通して、自分自身の内側にある生き方や人間としてよりよく生きる喜びを見出そうとする態度を育てる。

 

比べてみて、どうでしょうか。

 

この道徳のめあては、ある教科書の指導書から抜き出した文言です。

 

わかりにくいですよね。

 

この道徳のめあてをわかりやすいように、考え直していきたいと思います。

 

まず、お話がどんな内容かわからずに、目標を考えるのも難しいので、簡単にあらすじを載せます。

 

お話しのあらすじ

仏門で修行する対照的な若者の生き方が描かれている。

1人は意志の弱さから修行を投げ出し、人生の苦しみの中で自分の愚かさを悲観する。

もう1人は。厳しい修行に耐えて、立派な僧侶に成長するが、途中で修行を投げ出した旧友をゆるせない自分の醜さに苦悩する。

 

この対照的な2人がそれぞれ抱えている人間らしい弱さや醜さに向き合い、それを克服しようともがき、その結果、「弱さや醜さを乗り越える前の自分」よりも「よりよく」生きていく姿が描かれているようです。

 

上の表の中のめあてでは、「この2人の姿を通して、自分の中にあるよりよく生きてこうとする態度を育てる。」と書いてあります。

 

しかし、「態度」は1時間の道徳の授業ではすぐには身につかないと考えます。

 

「態度を育てる」ではなく、「〜という心情をもつ」、「〜という気持ちを育む」という言い方のがベター。

 

そして、この「よりよく生きる喜び」というテーマはとても難しいテーマです。

 

すぐに「よりよく生きていこう」という気持ちをもてるのかな?とも思います。

 

そもそも、人間の弱さや醜さは「克服しなければならない、恥ずかしい悪」なものなのでしょうか。

 

私は、「人間が誰しももっている感情。醜さ、弱さをもっていることは恥ずかしいことじゃない。」、「弱さや醜さを乗り越えられるから、人間は美しい。」と思っています。

 

私が考えたこの道徳の本時のめあて

  • 「弱さや醜さ」は、人間が誰しも抱えているものだと受け入れる。
  • 「弱さや醜さ」と向き合い、苦しむ2人の姿を通して、「乗り越えたら新しい、もっと素敵な自分」に出会えると気づく。
  • 「弱さや醜さ」を乗り越えて、よりよく生きたいという気持ちをもつ。

 

この3つだと思います。

 

3つに分けた理由は、生徒の発達段階に合わせて、めあても変わっていくと思ったからです。

 

この3つを一度に提示して、最後に生徒がどこまで、めあてを達成できたか、自己評価させるのもよいかもしれません。

 

めあては、生徒がわかりやすく、授業者がゴールとして、理解し、認識しやすものを提示しましょう。

 

本時のめあてを提示するタイミングは?

タイミングは、授業のはじめがおすすめです。

 

  • 生徒が見通しをもって授業を受けられる。
  • めあてを軸に生徒は考えを深めることができる。
  • 授業者はめあてを確認することによって、軸がぶれることを防ぐことができる。

 

授業の最後にめあてを提示するという例もありますが、あまりそのメリットを感じることができないので、授業のはじめにめあてを提示することを強くおすすめします。

 

 

「生徒を揺さぶる質問」をしてみよう。

道徳の授業で、生徒に考えを聞く場面がある思います。

 

先ほどの修行僧の話に戻しましょう。

 

「修行を諦めてしまった友達を許せない僧侶はどうして友達を許せなかったのか?」という問いを投げ掛けたとします。

 

生徒は、「自分は頑張ったのに簡単に諦めたから。」などと発言することが予想されます。

 

それに対して、「じゃあ、友達の苦しみや悲しみはわかっていたのかな?」、「もし、自分が逆の立場を経験したことがあったら?」など、生徒が「えっと、それはどうだろうか?」と一瞬立ち止まって考えるような揺さぶりの質問をしてみると、さらに考えが深まります。

 

揺さぶりの質問の例

  • どうしてそう思うの?
  • もしも、状況が違ったら?(時代背景、立場、天気、経済状況、家庭環境)
  • 置かれている環境が違えば、気持ちも変わる?
  • 〇〇ってどういうことかな?もっと詳しく教えて。

 

生徒の発言を掘り下げるために、揺さぶりの質問をしてみよう。

 

 

正解はないということ。

私が授業の最初から最後まで、生徒に言っていることがあります。

 

道徳の授業は正解がない。教科書をみても、正解は載っていない。考えること、感じたことを大切にしよう。

道徳の授業で、発問をワークシートに書かせている時、何度も何度も教科書から答えを探す姿があります。

 

「教科書に書いてあるのは、物語。主人公の気持ち。それを読み、知り、どんなことを考えたのか、それはみんなの頭の中、心の中にしかない。思い、考え、感じたことを大切にしよう。どれも違ってどれもいい。間違いはひとつもない。」

 

これを言い続けることによって、中学生でも堂々と発言することができるようになりました。

 

先生の考えは言わない。

極力、自分がどう思うか、感じたことは最後まで言わないようにしています。

 

少なからず、先生の言っていること=正しい、と思う子がいるからです。

 

全員がワークシートを書き終え、最後のまとめに入る時に、説話とともに、「こんな考えもあるよね。」っていう程度で話しています。

 

先生はしゃべりすぎるので、道徳の時間はなるべくしゃべらない。

こんな風に聞いたこともあります。

 

参考までに。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。道徳の授業は、「うまく行ったな。」と思ったことなんてほぼありません。

 

でも、生徒と一緒に考える時間が好きです。

 

わからなくてもいい、友達との話合いで友達の考えに触れて新しい発見があることもある。

 

「道徳は哲学。」だと思いながら、日々研究しています。

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